2022/12/26~2023/1/1

2022/12/26
仕事の一日。今日から日記を付けていきたい。私的な日記はコロナが始まる前からずっと付けていて書くこと自体には抵抗がないので、あとはいかにして人様の目に耐えられるものに出来るかが悩ましい。
2022年の振り返りをしながら、文章をあまりにも書いていないことに気が付いた。書けないのである。書きたい批評もエッセイもそれなりにあるのに、あまりにも筆がなまっているので、人に読んでもらうための文章を書くリハビリをも兼ねている。

 

2022/12/27
4時くらいまで映画を見ていたので、昼前に起床。仕事休みで平日なので、友達に文フリでお使いを頼まれていた、「外出 7号」「外出 8号」をようやく送る。東京で今日の昼過ぎに出せば、29日には岐阜県に現物が届くという。こんなすごいサービスを140円で提供してくれるのだから、日本郵便はすごい。
読書日記としたいけれど、本が読めていない。映画は観れる気分だったので、夜にセルジオ・レオーニ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」を観る。通しで見るのはたぶん三回目。
セルジオ・レオーニ作品が苦手だ。というよりもマカロニ・ウエスタンと呼ばれる西部劇ガンマンもののジャンルが全般的に苦手だ。むさ苦しい男たちが、歴史を背負い、プライドを懸けて決闘するという構図に、全然乗れない。けれど、観てしまうのはやはり作品の持つ魅力が魔性だからで、好きなキューブリック作品よりも真剣に観てしまう。
いつかどこかで読んだ本のなかで、押井守が「映画はその作品固有の時間が流れていることが本質だ」というようなことを書いていた。確かに、映画はその作品固有の時間が流れ始めたところから映画になる。つまりは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」の、たとえば冒頭のあの冗長なシーケンス(それは日常の時間と切断されている異質な時間が日常に無理やり挿入された感じがする)によってはじめて、作品はわたしに映画としての相貌を見せてくれる。押井守のいうような作為ある時間こそが、(もちろんそれだけではないだろうけど)映画を映画たらしめてくれるひと振りの魔法なのではないかと思う。

 

2022/12/28
仕事納めの日だった。といっても在宅で今年の残作業を黙々とこなして、上司とテレカンで雑談をして、最後に良い年をお過ごしくださいと言って、つつがなく仕事は納まった。
休みの人が多く、メールが少なく、平和な日で、いつもこんなふうに仕事が出来たらなんて素晴らしいだろうかと思った。

 

2022/12/29
冬休み初日。帰省するときの父へのお土産として、浅草であさりの佃煮としいたけの佃煮を買う。夜に職場の元同僚に呼ばれてクラシックの室内楽コンサートに行った。好きなヴァイオリン奏者の演奏しているときの佇まいがうつくしくて、それだけで行って良かったなと思えた。今日も本は読めなかった。

 

2022/12/30
14時に東京駅を発つ。新幹線の中で読むための本を持ってきたのに、結局Twitterを開いてしまった。
香川に着いて、夜に高校時代の同級生と焼肉に行った。私以外全員車で来ていた。オレンジジュースやウーロン茶を片手に、思い出話や近況報告をネタに阿呆なことを言って、ゲラゲラ笑って、よいお年をと言い合って、解散した。

 

2022/12/31
田舎の退屈が苦手だ。都会の退屈と違って、なにか新しいことや面白いことが生じる予感が全くしない退屈が苦手だ。
午前中に近くの温泉に行った。温泉の近くには20年前に通っていた小学校がある。お風呂に入った後、散歩がてら、当時の通学路をなぞるようにして歩いて帰った。
歩き始めこそ懐かしさでわくわくしたものの、次第に退屈になった。変わり映えしない畦道。変わり映えしない住宅地。深緑の静かな貯水池に、あたらしい卒塔婆がまばらに差してある墓群。大晦日だからか人影は見えず、空気は冷たかった。歩いても歩いても間延びしたような風景が続き、遅々として進まぬ時間が重りのようにまとわりついていた。
夜に佐々木敦『映画的最前線』を読むが、なかなか集中出来ず、頁が進まない。

 

2022/1/1
少し離れた町に住む母方の祖父母宅へ新年の挨拶に行った。いつも「お〜よく来た!」と笑顔で出迎えてくれる祖父が見当たらない。祖母に訳を聞くと、この間入院したという。私は気遣われて、その事を知らされていなかった。
歳も90で以前より衰えをみせていたが、昨年12月の半ばについに立ち上がれなくなり、そのまま入院したそうだ。入院してからはコロナのご時世で、祖母も母も全くの面会謝絶状態だという。祖父は病室で1人、正月を迎えているのだろう。
帰りに祖母から、金陵という日本酒を貰った。香川特産の銘柄である。祖父が昨年のお盆に私と飲むことを楽しみに用意していたお酒だったそうだ。私は仕事が忙しいから、と言ってお盆に帰らなかった。
そして、あれだけお酒が好きだった祖父は、もうお酒を飲むことが出来ないと聞いた。また、祖母も母も、祖父がおそらくはもう家にも帰れないことを覚悟している。結局、祖父の顔を見ることなく祖父母宅を後にした。幼少の頃、祖父にたくさん可愛がってもらってきたことを思い出して、人のいないところで少しだけ泣いた。